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はじめに:捨てるのが正解でも、抱え続けるのが正解でもなかった
遺品って、高価なものほど捨てられないわけじゃないんですよね。
祖父母が肌身離さず持っていたメガネや時計。
一緒に旅行した時の、古い切符。
何度も見返していたかもしれない、色あせた写真。
そういうものに触れた瞬間、手が止まりました。
体温が戻るような気がして。


「無理に関わらなくていい。片づけも供養も、やれる人がやればいい」
そう親族に言われたとき、私は迷いました。
頭では整理しなければと分かっていても、心がついていかない。
ゴミとして捨てることも、売ることも、私にはどうしてもできなかった。
どうすればいいか分からないまま、ただ時間だけが過ぎていきました。
そんな私が選んだのは、「捨てる」でも「抱え続ける」でもない、供養して手放すという方法でした。
利用したのは、宅配で送るだけで供養ができる「みんなのお焚き上げ」です。
叔父の遺品をレターパックで、祖父母の形見をレターパックと170cmのボックスで、合計2回に分けて送りました。
今日は、その話を書きます。
※写真を掲載する場合は、個人情報保護のため顔・番号・氏名等が判別できないよう必ず加工しています。
私が「売らない・捨てない」と決めた基準
遺品整理でいちばん消耗したのは、作業よりも「判断」でした。
これは残す? 手放す? 売れる?
そのたびに立ち止まってしまって、気力が続かなかった。
だから私は先に、自分なりの基準を決めることにしました。
肌身離さず持っていたもの——メガネ、時計、財布。
こういうものは、私には売れませんでした。
お金の問題じゃなくて、その人がずっと一緒に持ち歩いていたと思うと、それを誰かに売るという発想が、どうしても浮かばなかったんです。
写真やアルバムは、価値があるかないかじゃなくて、その人の人生の痕跡そのものだと私は思いました。
だから、雑に扱いたくなかった。
旅行の切符のような「時間の証拠」は、処分することでその人の記憶まで切り落とすような気がして、私にはできませんでした。
「捨てる」か「持ち続ける」かの二択で考えていたうちは、ずっと苦しかったのだと思います。
供養という選択肢を知って、初めて前に進める気がしました。
「みんなのお焚き上げ」を選んだ決め手(私に必要だった条件)
サービスを探しながら、私が確認したのは3つのことでした。
1)流れと費用が明確で、疲れていても迷わない
手続きが分かりやすくて、次に何をするかがはっきりしている。
心が限界に近い時ほど、これはありがたかったです。
2)遠方でも“見届けられる”仕組みがある(ここが一番大きかった)
私は現地に立ち会えませんでした。
でも、供養の様子をYouTubeの限定公開で確認できるという仕組みがあって、「ちゃんと見届けられた」という感覚を持てました。
これが、私にとっていちばん大事な条件でした。
3)個人情報への配慮が明記されていて安心できた
遺品には、写真や手紙、身分証が混ざっていることがあります。
知らない業者に任せることへの不安が、正直ありました。
配慮の内容が明記されていたことで、踏み出せた部分が大きいです。
「供養して手放す」という選択肢があることを知らなかったら、私はもっと長い時間、あの遺品を前にして立ち止まっていたと思います。
実際に送ったもの:レターパック2通+170cmボックス
私が実際に送ったのは、この3つです。
・叔父:レターパック(最期まで身につけていた物)
・祖父母:レターパック(思い出品)
・祖父母の木彫りの大黒さま:170cmボックス
サイズと重さは、申し込む前に必ず確認しておくことをおすすめします。
私は祖父母の分で容量オーバーになって、2回に分けることになりました。
気持ちが追いつかない時って、「これも一緒に…」と詰め込みたくなるんですよね。
それだけ気持ちが入っているということなんですが、容量の確認だけは先にしておくと安心です。
私がやらかしたこと:容量オーバーになって2回に分けました
正直に書くと、私は一度詰め込みすぎました。
「これも入れたい、あれも」と思っていたら、気づいたら容量オーバーで。
申し込み直して、2回に分けて送ることになりました。
失敗談として残しておきますね。同じになりそうな方、サイズ確認は先に、です。
私が「特別祈祷」を選んだ理由(叔父にしてあげたかったこと)
叔父は、葬式も納骨も、何も供養されませんでした。
気の毒で、私が自腹でも、最後まで身につけていたものだけは祈祷したかった。それが理由です。
形見分けとして私が持つより、供養して送り出すほうが叔父のためになると思いました。
お焚き上げ後に残るのは「証明」と「区切り」だった
供養した物は手元からなくなります。
でも私には、供養の画像・動画(データ)と、お焚き上げの証明が残りました。
数年ぶりに動画を見返したとき、ふっと思ったんです。
「叔父のために、できる限りのことをした自分を褒めたい」と。
物をなくすことは、忘れることじゃない。
“重荷”を、“温かい記憶”に変換する作業なんだと思います。
注意:相続放棄を急かされた人は、先に確認してほしいこと
私は「物や葬儀のことも、ほっておけ」という空気の中で、どう動くべきか迷いました。
このような状況では「相続放棄」という選択肢が出てくることもあります。
私の場合、叔父・叔母は20人を超えていて、のちにもう一人の叔父が相続放棄をすることになり、また新たな経験をすることになります…。
相続放棄の進め方はケースによって変わります。遺品の扱いも、状況によって判断が必要になることがあります。
私は悩むより先に弁護士に相談し、家庭裁判所の案内を確認しながら進めました。
※相続放棄の体験談と遺品整理で気をつけたことは、別記事にまとめます。
最後に:次の代に“この重さ”を残さない
遺品整理や相続のゴタゴタは、放っておくと次の世代の重荷になります。
だから私は、叔父の尊厳を守ることと同時に、自分の未来を少し軽くする選択をしました。
もし今、「捨てられない、でも苦しい」と感じているなら。
それは弱さじゃなくて、故人を大事に思っている証拠だと、私は思います。
まずは公式の案内を見てみてください。
対応品・サイズ・流れが分かるだけでも、気持ちが少し整理されることがあります。
(後日談)半年後、その神社で
叔父のお焚き上げから、半年ほど経ったころのことです。
大学時代の友人に誘われて、「素敵な神社があるから」と連れて行かれた場所が——まさかの、お焚き上げをしてくれた神社でした。
鳥肌が立ちました。
社務所に立ち寄って、「ありがとうございました」とお礼を伝えて、さあ出ようとした瞬間。
突然、ザーッと天気雨が降り出したんです。
宮司さんが「おや、急に雨が降ってきたね」と私に話しかけてくれました。
豪雨に近い雨でしたが、1分も続かなかった。
その短い雨の中で——叔父の供養をしてよかった、とはっきり思いました。





山名八幡宮と御朱印帳の写真。私の曾祖父が宮大工だったことを知り、神社仏閣巡りをしています。
この記事を書いた人
アオゾラパズル|2011年から現在まで、家族・複数の親族の介護/相続/終活に関わり、手続き・書類対応を多数経験。この記事は体験談と一般情報に基づき、個別の法律判断は断定せず、必要に応じて公的機関/専門家の確認を推奨しています。


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