
はじめに——「家族葬=家族だけ?」という“よくある誤解”
「家族葬って家族しか呼べないんでしょ?」
伯母の“宇宙人発言”には本当に困っています。
伯母は子どももおらず、伯父もすでに亡くなっているため、「自分の家族=自分だけ」=「家族葬」と思っていたようです。
いやいや、血族も家族でしょうが!私はどうなるねん!……と、心の中でツッコミを入れておきました。
家族の在り方はいろいろです。
何度もいいますが、伯母の宇宙人発言は参考にはなりません(笑)
この記事では、私自身が2011年から2025年までに経験したアオゾラパズル家の“葬式遍歴”を振り返りつつ、現在の葬儀スタイルや費用の変化をまとめてみました。
アオゾラパズル家の葬式遍歴(2011〜2025)
2011年——父と伯父の葬式:まだ“家族葬”が珍しかった時代
2011年3月、東日本大震災の年。私は内陸地域に住んでいます。
その混乱の中で、父(6月)と伯父(12月)が続けて亡くなりました。
当時は「家族葬」という言葉が今ほど浸透しておらず、「小さくやる」というより「略式の葬儀」という印象。田舎なのでまぁ、めんどくさい。
でも震災をきっかけに少しずつ変化し始めていました。
町内会の人、会社関係者、遠方の親戚……。「呼ばないと失礼」と言われる空気が濃厚だった時代。
葬式の規模よりも“誰を呼ぶか”に神経を使う時代でもありました。
その頃の会話に必ずあったのが、「〇〇さんの家族や親戚は大丈夫だった?」という言葉。
津波で家を流された人、家族を亡くした人、所在が分からない人。
当時は家族の死に関わることが多すぎて、誰に連絡すればいいのか、まったく分かりませんでした。
父は不慮の事故で亡くなり、ニュースにも取り上げられました。
新聞を見て参列してくれた人も多く、父の大親友は入退院を繰り返していたため参列できませんでしたが、のちに同じ時期に亡くなっていたことを知りました。
お互い喪中はがきを送って、ようやく家族同士が知る——そんな時代でした。
何をどうすればいいのかわからずに、通夜・告別式・初七日がセット、香典返しのリスト作り、喪主挨拶の原稿……。
悲しむよりも形式と段取りに追われ、父ときちんとお別れできなかった気がします。
費用は一周忌まで含めて約300万円。
「見送る」というより「行事をこなす」感覚でした。
そして心に残ったのは、
「本人はこのような葬式でよかったと思っているのだろうか」
「あの時“いってらっしゃい”と声を掛けていたら」
「私が車で送迎していれば…」
——あれから15年。今でも悔やんで涙が出ます。
2021年——祖母の葬式:コロナ禍で“呼べない葬式”へ
時代が変わり、2021年。コロナ禍の真っ只中で祖母が亡くなりました。
- 火葬場には人数制限(ひと家族4名まで)
- 火葬場待合室では飲食禁止/通夜・告別式も短縮
- 五六膳(仏様に供える小型膳)もお弁当対応
- 亡骸に触れる機会があるためエンバーミングを勧められる
- 他家と時間が重ならないよう、葬儀社が必死に調整
遠方の叔父は持病があり呼べず、施設入所中の伯母は1時間だけ対面。
高齢者が多いため、新聞のお悔やみ欄にも載せませんでした。(田舎では“いらぬ詮索”が多いので…(-_-;))
参列者は私と弟の2人。斎場で祖母に耳元で「おつかれさん」と声をかけて送りました。
耳が遠かったので、最後の最期まで耳元で話しましたよ。
曾祖母は97歳、祖母は96歳。「あと一歩で並べなかったね、婆ちゃん。」
形式を減らした分、家族でゆっくり話す時間が生まれ、“家族葬”という言葉が「小さくても心を込める葬式」に変わったと実感した出来事でした。
2023年——叔父の葬式:呼べない事情と“納得の形”
そして2023年。突然の自死。
長年の親族間のもめ事が一気に噴き出し、仲の良かった家族や親戚はバラバラに。
この時代背景には、コロナ禍による閉塞感と核家族化の影響もあったように思います。
私は神社仏閣巡りで集めた御朱印帳を叔父の棺に入れてもいいかを火葬場で確認し、耳元にそっと2冊添えました。
「本当にこれしかできなかった」という思いが残っています。
その後、相続放棄や多額の未払い金の処理など、1年走り回ることに。
葬儀形式は「直葬」——警察署の安置所で1週間遺体を預かってもらい、署内で納棺し、そのまま火葬場へ。
「呼ばなければいけない」「式をしなければ失礼」よりも、「親族を呼びたくない」という空気。
位牌も法事もなし。本当にこれでよかったのかと今も考えます。
私はできることを探して、1年間で365枚の写経を書く——ということを現在も続けています。
それを菩提寺や観音巡りの際に納める。
誰ひとり法要をするとも言わず、叔父の存在すらタブー視されているかのようにしています。
私なりの叔父の送り方として、写経を七回忌まで続けようと思います。
そしてブログと写経は、そのまま私自身の習慣になりつつあります。
家族葬の費用と形式の変化(2011〜2025)
実際に体験を重ねるうちに感じた「葬儀の変化」を、全国データでも調べてみました。
コロナ禍をきっかけに小規模化が一気に進み、家族葬が“当たり前”になりつつあります。
| 年度 | 家族葬割合(%) | 家族葬費用の推定相場(万円) | 形式の特徴・変化 |
|---|---|---|---|
| 2011 | 約30 | 約180〜200 | 一般葬が主流。家族葬は少数派。 |
| 2015 | 31.3 | 約184 | 徐々に家族葬比率が増加。 |
| 2020 | 40.9 | 約184 | コロナ前は費用横ばい。 |
| 2022 | 55.7 | 約111 | コロナ禍で小規模化、一気に増加。 |
| 2024 | 50.0 | 約119 | アフターコロナでも家族葬が主流。 |
| 2025 | 約50〜60 | 約120〜150 | 地域差あり。簡素化傾向続く。 |
解説:
2011〜2015年は一般葬が半数以上で、家族葬は3割程度。葬儀費用は200万円前後と高額でした。
2017年以降、小規模葬が増え、費用も下がり始めました。
コロナ禍の2020〜2022年には、家族葬が50%を超え費用も約半分に。
2024年以降もこの傾向が続き、「小さくても丁寧に送る」時代に。
※各年の費用・割合データは以下の公開資料・調査記事をもとに筆者が再構成。
出典:
[1] しゅう活Life「葬儀費用の全国平均」
[2] 暮らしの友メディア「葬儀費用の推移」
[3] いい葬儀ガイド「家族葬の費用相場」
[4] SOOGI.JP「葬儀業界ニュース」
[5] 同上「2024年の葬儀トレンド」
[6] むすびす葬式知恵袋「一日葬の参列マナー」
[7] Life Group note「葬儀業界の変化」
[8] 小さなお葬式コラム「家族葬の最新動向」
[9] SOOGI.JPニュース
[10] Delight社「東京23区データ」
高齢化と価値観の多様化が進むなか、「家族葬」は今や特別な選択ではなく、誰にとっても現実的な選択肢になりました。
形式よりも心。小さくても丁寧に送る時代へと、静かに移り変わっています。
2025年——“家族葬”は誰のための葬儀か?
伯母の「家族葬って家族しか呼べないんでしょ?」という言葉。
彼女の嫁ぎ先は、北東北の中でもかなりの“田舎気質”。
「本家」「大本家」など、聞いてもよくわからない呼び方が飛び交います。
(戸籍謄本をたどってみると、はぁ…???となりましたけど)
まぁ、代替わりすればご縁も切れる。いちいち説明しても無駄なので、今は聞き流しています。
伯母には、これまでの経験をもとに「どんな葬儀形式がいいのか?」を少しずつ話すようにしています。
嫁ぎ先から離れて復氏(旧姓に戻す)した伯母。
永代供養がいいのか、それとも祖父母の墓に入りたいのか。いわゆる“終活”の話です。
ただ、この伯母がまた一筋縄ではいかない。
父や祖母が心配していた理由が、ようやく分かってきました。
この件も、別記事で書いていこうと思います。
家族葬の自由度は、家族の数だけある
今の葬儀は、もっと柔軟です。
- 家族だけで静かに
- 親しい友人だけを呼ぶ
- 無宗教で自由に演出する
“家族葬”という名前でも、中身は人それぞれ。
葬儀社のプランも「一日葬」「直葬」「オンライン葬」など多様化。
昔のような“型にはまった葬式”ではなくなりました。
まとめ——形式よりも「心と生活を守る設計」を
2011年から2025年まで、4つの葬儀を経験して感じたこと。
それは、「葬式は、誰のために行うのか」を最初に考えることが大事だということです。
- 呼ばない勇気を持つ
- 見せるための形式より、故人と自分の納得を優先する
- 小さくても丁寧に送る
家族葬は、もう特別な形式ではありません。
高齢化・価値観の多様化・感染症対策。
さまざまな理由から“静かに送る”という選択が自然になってきました。
葬儀の形が変わっても、別れの思いは変わりません。
泣いて、笑って、また前を向けるように。
——私にとっての家族葬は、そういう「再スタートの儀式」なのかもしれません。
今現在も伯母の葬儀をどのようにするか、納骨などどうしたいのか問いかけながら進めています。
世代的な考えもあるとは思いますが、何気ない会話の中で「私はこうしたいな~」という独り言でも、聞き取れたら覚えておくといいかもしれません。


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