慰霊塔に写っていた軍人さん|祖母が伝えてくれた命の記憶

家系図・ルーツ探し

あの日、祖母が見せてくれた一枚の写真

今から30年前。

1995年8月15日の話です。

ちょうど戦後50年の節目だった終戦記念日。

一時期祖母と同居をしていたこともあり、昔話を聞いたりと毎日が祖母との想い出作りでした。

私の祖母は、イタコや祈祷師にスカウトされたことがある人でして、私は小さいころから祖母の不思議な力を見ていまして、他人が見たらびっくりする事ばかりでした。

その祖母が見せてくれた写真の中には、戦没者慰霊塔の前で記念写真を撮っている祖母の背後に、白い軍服の青年がくっきりと写っていました。

「これが、私の弟よ」と祖母は笑みながら語り、
戦争が終わる直前に軍艦に乗って外国で死んでしまったと話してくれました。

その写真を見てうなずく私

「伝えるだけでも、良かったんじゃない」 そっと言いました私の言葉に、祖母は笑みながら手を合わせました。

不思議なもので、私は世の中で言う「心霊写真」になるものをジーっと見て 「ばぁちゃん、よかったね。ニコニコしてるね。」と話しかけました。

その後、「ちゃんと供養しなきゃね」と言って写真を供養した後は、その写真には軍人さんは消えていました。

祖母にとっても、この出来事は深く心に刻まれた特別な思い出だったようです。

30年後の2025年8月15日。私が戸籍で見つけた祖母の弟の真実

今年から家系図を作成するために戸籍謝本を取り作成をしています。

祖母の弟の名前が目につき、あの時のことを思い出しました。

名前、生年月日と死亡日。

戸籍には戦死した方の場所と日付が書かれています。

届け出も何度も訂正があり、

太平洋戦争で一番戦死者が多かった1945年2月に亡くなっています。

あと半年。

180日あったら生きて帰ってきたんだな。

そう思うととても切なくなりました。

戦後80年に想いをはせて

日本では、戦争で死亡した人数は約310万人。 そのうち、軍人だけで約210万人にも上りまます。

世界で戦争のない年数は、たった268年だけだけ。

その中で、私たちは戦争を起こさず、80年間を生きています。

これまで戦争の出来事を伝えることで80年という年数を重ねました。

今後は平和を守るための年数を重ねていかなければならないと思いました。

毎年この日がくるたびに、祖母の話を思い出します。 そして、つなぐこと、記録することの大切さを、あらためて感じています。

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